私は、曲がりなりにも「人に触るプロ」であります。
世の中、場所によっては人を触るとお金を取られるところもあるというのに、人を触ってお金をいただくお仕事ができるというのは何とも面白いですが、今日は、触る-触られる当事者である皮膚について、ちょっと書いてみたいと思います。
生きている人間同士が触る-触られることができるのは、原則、皮膚同士です。我々の仕事では、筋肉と骨格へのアプローチがクローズアップされがちですが、筋や骨は原則的には直接触れるものではなく、あくまで皮膚を通してしか影響を及ぼせません。
必殺シリーズに登場する「念仏の鉄」の骨はずしだって、皮膚の上からです。直接触れるのは結局皮膚なのです(実際は服やタオルの上からの施術になりますが)。
皮膚をゆすって刺激を与えて、揉まずに筋肉をゆるめていく技術というものもあるくらいで、そのたかだか数mmの厚みの範囲を使って身体に起こせることは、実に豊かなのです。
……と偉そうに書いておりますが、皮膚の大事さに着目するようになったのは実はここ数年のこと。武術と、本のおかげです。本のほうは、後日別に書くとして、簡単に武術のほうのお話を書いておきます。
武術の技法には、相手の皮膚に余計な情報を与えないことで、抵抗できないままに相手を制する触れ方、掴み方というものがあり、うまくやられると、笑ってしまうくらい抵抗できないままに地面に転がされてしまいます。
皮膚に不自然な牽引や圧迫を加えないことで、「自分は敵ではない」と思わせているのでしょう。これまた偉そうに書いておりますが、私は日本の大東流合気柔術と、ロシアのシステマをそれぞれちょっとかじっている程度。でも、その双方に共通してよく似た技法が伝わっているあたり、武術の人体の仕組みに対する貪欲さみたいなものが垣間見えて(命のやり取りをしようと言うのだから、貪欲になるのも必然かもしれませんが)形は違えど人体に関わる者としては、とてもときめきます。
逆に、嫌な触られ方、掴まれ方をすると、体の自己防衛スイッチが完全にオンになります。触った側、掴んだ側からすると、自ら相手を扱いづらい状態に追い込んでしまうようなものです。角度、圧力、力の配分、体温、その他もろもろ。あらゆる要因。ひとつ誤ればたちまち防衛スイッチがオンになってしまいます。
繰り返しますが、人間同士が触れ合えるのは原則皮膚ごしです。
「骨まで愛して」と言っても、よほど猟奇的なことをしない限りは、やっぱり皮膚ごしです。
だから、そこにある皮膚が、何をどのように感じているかをじっくり意識してみると、いろいろと面白いことに気付きます。
たとえば「触れる-触れられるときに、その陰で皮膚を通して、とても多くの情報処理が起こっている」ということが実感できます。
私自身、それを意識する前と後とでは、いわゆるツボを刺激する場合でも相手の体に起きる反応がだいぶ変わったように思います。
仕事で相手に触る人、愛情表現で相手に触る人、その他諸々。皮膚のはたらきと人の在りように思いを馳せて、敬意を抱きつつ触ってみると、様々な発見があるのではないでしょうか。触ることは、時に言葉よりはるかに雄弁なメッセージになると思います。
あ、自分で自分のツボを押したり、フェイシャルマッサージとかしたりする場合にも、皮膚感覚をしっかり味わうと感触や起こることが変わってきますよ。
保証します。