「見えない世界」についての本である、と私は受け取りました。それは何も、気やら霊やらの話ではなく。我々が「見ているつもりになっているが、意識にのぼらせることもないままに認知バイアスの陰で消してしまっている世界」についての本、ということであります。そして、見えない世界とは、ことばや息や音、音楽などの世界、ということでもあります。
 
 手技療法という商売柄ですが、当の患者さん本人でも説明に窮する、検査上では何も出てこないような痛み・違和感・名状しがたい何かを、それでも治そうという時。治療される側と治療する側との共鳴というか、アドリブに満ちた身体感覚同士の掛け合いを経て、ようやく足がかりをつかめることがあります。
 
 そのような瞬間には、今・ここの感覚に意識が集中するので、解剖学や生理学などの理屈はいったん頭からスコーンと抜けています。そんな感覚が治療に資することがあるのを味わったことがある身としては、細々とどうでも良さそうなことを考えてしまう意識なんて実は邪魔ものではないのか、などとモヤモヤすることがあるのですが、そんな私には、実に頷ける本なのです。
 
 エッセイと銘打ってあります。日本でエッセイというと気楽な散文の寄せ集めといったイメージがありますが、本書のエッセイは欧米のそれに近く、かなり骨太な論考が続きます。ご自身の音楽についてや、社会のありよう、それに幸せに生きるということについてなどなど、相当な熱量を持って書き綴られています。
 
 
生きたいように生きているならば、「成功など、憧れにもならない」。(p91)
 
「自らが創り上げた理論や理屈という、内なる世界」や「多くの他者と共有している…というだけの、実存とは異なる認識世界」に実際の世界以上に愛着や執着を抱いてしまうからだ。極めて理論派で論理的な思考のできる人々の中に、時折、途中でクルリと自身の脳の中への自己愛に回帰し、半ば完結したようになってしまう人がいるのは、そのためかも知れない。(p140)
 
問いを持ち続け、問いに向かい続けることよりも、「問いの内容を置き換えること」や「問いをすりかえて、よそ見すること」、「一旦問いを切り上げること」に残念ながら人々の心は向くものだ。(p219)
 
 
 著者のきしもとタローさんは、幼少の頃、自らの手でとてつもない数の笛を自作するところから音楽に触れ始めたといいます。そんな話を含めて、ネット上で観られる講演やブログがあまりに面白いので、数年前に出されたという本をぜひ読んでみようという気になって購入に至った次第なのですが、本書を読むと、とにかくその切り口の鋭さ面白さにいい意味で振り回されっぱなしです。
 
 
 ご本人作曲・演奏のCD2枚付きCDブックとのことで、ぼくがこれまでの人生で出会ったCDブックからすると、せいぜい数十ページくらいの本なのかなぁと思っていたら、届いた本書『空のささやき、鳥のうた』は、かなり細かい文字でがっつりと三百ページ以上で、CDブックと見くびった己の不明を恥じるばかり。
 
 
 その目論見は壮大です。一般的には「現実」という名で呼ばれる強力な催眠術の外へと、読み手が目を開けるように仕向けるための本、といってもいいと思います。安直な自己実現や表現(他人に受け入れられ認められたら良い、多くを持っていたら偉い、稼いだら勝ち、など)に疑問を呈しつつ、己の中にあるはたらき、人と人、人と自然との間に在るはずの「はたらき」に対して目を開いたほうがいいんじゃないの、と説きます。
 
 
 現代に生きて、いつの間にやら特定の「物語」の中でしか世界を把握できなくなり、それを「現実」と呼ぶ我々にとって、「盲点」となっているポイントを暴きだそうという本書は、優しい救いの声にも無慈悲なダメ出しにも見え、単純化・図式化した要約を拒みます。「ほんとうに感じること」を勧め、「わかったつもり」を戒める本でもあるのです。
 
 
 この本で、冒頭に挙げたようなモヤモヤが解消されたわけではなく、むしろ、モヤモヤすることを大事にしてもいいんじゃない?と思えました。
 
 
 フツーの本屋やレコード屋ではまず手に入らないCDブックですが、興味のある方は、版元の雲水舎に取り寄せるなどしてご一読&ご一聴いただける幸いであります。
 
 なお、付属のCD2枚に収められた曲たちは、初めて聞くのにどこか懐かしい、民族音楽的な楽曲で、ぼくも購入後毎日聞いています。
 
 
 あえて無音の録音スタジオを避けて録音したところが、本書の内容と響き合っています。加工しやすく切り出しやすく「商品化」された音楽は、人間と世界とをつなぐ「はたらき」を奪われてしまっているのでは、という著者なりの警鐘のような「思想」が、録音方法にまで込められています。
 
きしもとタローさんウェブサイト内の紹介ページ
 
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