「あやしい技」が効くカラクリはどこに?

 いろいろな手技療法を勉強・実践する中で、傷む箇所に何をしても消えない慢性の痛みや、どこに原因があるともわからない慢性疾患などが、患部から遠く離れた部位に対する、触れる程度の軽い刺激で改善していくことを経験しましたが、初めてそうした怪しい技術を知った頃は、なぜそんな弱い刺激で身体が変わっていくのかがサッパリ解りませんでした。

 微細な刺激に寄る治療法は「気」などの言葉で説明されてしまうことも多いですが、「気」は便利すぎる概念で、なるべく頭で納得したい私にはあまり説明にもならないのです(古代中国の思想では、身体に限らず、運勢・天候まで、変化していくものは全部「気」で説明してしまいます。この話は長くなるのでいずれあらためて書きたいと思います)。

 

脳はひきこもり

 そんなことに対する説明原理が欲しくて色々な理論をかじっていたのですが、数年前、機能神経学※というものを勉強していた時にハタと閃いたのが、「脳は頭蓋骨の奥にひきこもった、ひきこもりである」というイメージでした。

 目や耳、鼻、全身の皮膚や筋肉に張り巡らされた神経系からの感覚情報には様々なものがあります。脳はそうした情報を頭蓋骨の奥で受け取って、それらの情報に左右される存在である、ということです。

 人間で言えば「部屋にひきこもってスマートフォンやテレビ、ラジオからの情報だけで世界を見ているのと似た状態」とも言えます。

 脳科学の世界でも、人間は世界をそのまま認識しているのではなく、脳の中でヴァーチャルな世界を構築して、それを世界として認識しているのだ、という知見があるようで、ますますこの「脳はひきこもり」のイメージは強まりました。

手技療法で、ひきこもった脳が受け取る情報を制御してやる

 だから例えば、余計な緊張が身体のどこかで続いていれば、それを神経系の情報を通じて知った脳は「どうやら身体にある種の異常事態が起きている!」と受け取って、痛みというアラームを鳴らし続けるわけです。

 また、未来への不安や過去の辛い記憶などを延々と脳に感じさせることで、「この身体の持ち主は危機的状態にある」と脳が思いこみ、パニックに追い込んで、身体上の不具合を生んでしまっているやもしれません。

 それを逆手にとって、脳に入っていく余計な情報をカットしたり、心地よい感覚を脳に送りこんでやることで「パニックに陥った脳を我に返らせる」ことが、低刺激の治療の本質ではないか、と思うようになりました。不思議に見える技たちの背景には、こうした原理が隠れているのではないか、と思っています。

 余計な情報に振り回されている脳を、微小な刺激で我に返してやることができれば、きわめて低刺激(ヘタをすると意識の上ではほぼ無刺激)の施術法が成立する場合がある、ということです。私が実験した範囲では、より弱い刺激で治療が成立した方が、その効果が長持ちしやすいように思えます。

 ただ、低刺激にこだわりすぎると、強めに施術しないと歯が立たないタイプの症状でもついつい低刺激で立ち向かおうとしてしまい、かえって患者さんにご不便をおかけしてしまう可能性もあるので、そのあたりの塩梅はいつも悩むところです。ああ悩ましい。